門矢士。
身元不明。年齢不明。フラっと街に現れて、そのまま私のところに居着いたあの男。
未だにどこから来たのかも、何をしたいのかも、何も話さない。ナニも無いのかも。
「本当に迷惑な奴」
何故私のお爺ちゃん、光栄次郎は彼を雇ったのだろう。これ以上無い程に迷惑をこうむってるのに、笑って済ませるだけ。
確かに、背は高い、顔も確かにいい、でも性格マジ最悪。
あの横顔に漂う虚しさに釣られて私がお爺ちゃんに会わせたし、写真館にいるよう働き掛けたのも私だわよ。ええそうだわ。でもでも、最終的に雇う事決めたのはお爺ちゃんなんだからお爺ちゃんが悪いのよ。
・・・・・・
なんだろう、この音、
私は深夜にテレビが終わって鳴りっぱなしになるあの音が耳について離れなかった。
周囲を見回した、
足下の廃棄ゴミの中の鏡台に、人影がチラと見えた。
咄嗟に反対側を振り返る。
誰もいない。
変な夢といい、なんだか最近私はどこか体の具合がオカシイのかしら。
「こっちオイ向けよ!」
それよりも公園で怒鳴り声が聞こえる。私は直感が働いて駆け出した。
「又ダメか。」
やっぱり居た。この気取った声。
近所の市営公園。
黒いコートに臙脂のタートルネックのセーター。いつも口元がふて腐れてる。
門矢士は、今日もあのデタラメな写真を、2眼では珍しい35ミリカメラで撮り続けている。なぜかショッキングピンクにボディを塗りつけた、静かな気持ちと踊る心を撮り分けるカメラ。だが静かな気持ちの顔にダブらせて踊り狂ってる心を撮ってしまうのは、メーカーにも失礼だ。
愛用のバイクホンダDN-01の改造車にダンボールで「写しんよろしければ」と黒マジックで書いて看板として立てかけ、公園に来る人間を手当たり次第に撮っている。
「おまえの全てを撮ってやると言ってこれかよ!」
「端からまともに撮るつもり無かったのかよこの野郎!」
案の定絡まれている。
3人の男女、あきらかに法律の枠から飛び出して生きてるような屈強な体格の男2人と水商売系の1人の女に絡まれる門矢士を見た私は、一瞬士の生命を危ぶんだ。けど、どういうわけか違った。
ジャンパーに「塩」と縫い付けた男の右を軽くしゃがんで躱す、
「味噌」というワッペンをつけた兄貴格の男の左も軽く横に流す、兄貴味噌は自分の勢いで地面を一回転した。その身の熟しは格闘技を囓った私も関心する程。
「なんでこんな写真を撮る・・・」
腕っぷしの程度を知ってか、それでもメンツを立て直す為兄貴味噌は門矢士に問いかける。
「上手く撮れないからな。だからこの世界の全てを写したいと思った。」
呆然とする兄貴味噌と弟塩とその愛人を全く無視して風景を2眼で撮り続ける門矢士。
「ディケイド・・・・今日はこの世界が終わる番?」
門矢士はふいに2眼から目を離し、遠い眼差し、これが少し様になって悔しい、眼差しでなにか考え始めた。そして私にはその何も打ち明けてくれないのだ。分かってるのだ。案の定先の弟塩が殴りかかろうとする。
「あの、すいません!」
私はできるだけ大声で叫んだ。そして怖い人達は意図的に目を合わせないようにして、門矢士だけに向かって叫んだ。
「光家秘伝、笑いのツボ!」
光家秘伝『笑いのツボ』とは、中国四千年より伝わる一子相伝史上最強の暗殺拳の数ある技の一つ、本来は相手の秘孔を突き苦しまず幸福な気分に浸りながら死に至るという恐るべき必殺拳なのだが、光夏海の改良によって痛覚が軽く持続的に刺激されて全身を内側からくすぐられたような幸福な気分になる必笑の拳へと練り込まれたのだ。ただ突き込みが足りないと言ってはいけないのだ。
門矢士の前に近接、
一旦手で翳して相手の視界を奪い、
軽やかなステップで背後に回り込み、
首筋の秘孔へ一突き、
「うっ・・・・・あ、ハハハハハ」
見たか秘伝笑いのツボ、この技を喰らってまともに地面に立ってられる者はいない。門矢士も例外ではない。
転げ回って兄貴味噌に力無く身をあずけては拒絶され転び、弟塩の脚にすがりつくも蹴り飛ばされ、泥にまみれる門矢士。ざまあぁ。
「てめえ、夏海、また!」
その無様な姿に呆れた3人組は退散していった。
「本人もこうやって反省してますから!」
私のフォローは完璧だ。
公園のベンチ。
ゼイゼイとまだ呼吸の整わない士は夏海を指差す。
「笑いのツボってこういう意味じゃ、ねえだろ。夏みかん。」
士はセンスの無いあだ名を夏海につけている。
「これに懲りて反省してください。」夏海は親指を立てて突き出す。もはや脅しである。「なんであんな変な写真ばかり撮るんですか。」
公園のベンチに並んで座る士と夏海。公園には親子連れや鳩も見られるのどかな風景だ。
「オレは世界を撮りたいだけだ。」
「世界?それがどうしてあんな写真になるんですか?」
「世界がオレに撮られたがってない。勝手に歪んじまう。街も光も、オレから逃げていく。ここもオレの世界じゃない。」
「貴方の世界?」
なぜ私はこんな男の泣き言を聞いてあげてるんだろう、夏海は思わずにいられなかった。
「オレに写される資格を持った世界ってこった。」
夏海のニットキャップを小突く士。夏海はそれを強がりと思った。しかし不思議と嫌悪は抱けなかった。嫌悪したのは子供扱いした事だ。
「とにかく!これ以上ウチの写真館に迷惑をかけないでください。建て替えたフィルム代も締めて・・・」
急に士が立ち上がった。
「ああ、大体分かった。それより、今日はなんだか変な風が吹く。」
対話が面倒になり切り上げたいのが見え見えだった。しかし夏海はどういう訳かその片言の内容で、意味が通じた。
「士クンも感じてましたか。」
「早く帰った方がいいぞ。」
対してなぜか夏海に話が通じてる事を不思議に思っていない士がいた。
(続く)
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