2011年7月10日日曜日

5 カブトの世界 -クロックアップ- その15







 士の足が細かい砂利を踏むごとに苦い音を鳴らす。川から土手に直角に水路を造り、コの字に曲げてまた土手に穴を開けて水を帰す。コ字の内側は大きなログハウスであり、おおよそ母屋、物置、そして網で囲まれた家畜小屋がある。網の内側で独特の臭みが漂い、甲高いテンポの鶏のさえずりが聞こえる。玄関前には干したばかりの魚が十数匹、鼻に水の臭みを差してくる。


「やあ、ずいぶん寝ていたらしいな。」


 母屋の木戸の意外な重さを感じなら、徐々に中の情報が士の目に入ってくる。一段上がってすぐに囲炉裏があり鉄鍋が天井から吊り下げられている。囲炉裏の側近には大きな葉でくるんだ弁当らしいものが4つ。ステンレスボトルが4つ。窓は士の立つすぐ横に一つ東と西に一つずつ、北側は3つ扉が見える。

 中に人はただ1人。未だ背中を見せて、魚を1枚1枚捌いている士の知る人物がいる。今日のスパッツは白。靴下は黄色。だが一本だけ。グルグル巻きに固定された包帯がもう一方を覆っている。


「ん」


 ぎこちなく顔半分だけパッと向けて手に掴んだトゲ抜きを振った光夏海だった。


「このヤロ」


 突如夏海の背後からネックハンキング、


「ナニなに、子供みたいなマネして、」


 士の腕を必死にタップしながら藻掻く夏海。

 士はニヤつきながら自分の頭を夏海の髪の毛に近づける。


「泣いた顔だ。」


「泣いてません、」


「泣いたね。」


「泣いてませんってば。」


「ここ2日オレを看病して、オレに何かしたろ。正直に言えこら。」


「してません、士クンの世話はお婆ちゃんがして、私は、士クンの裸なんか見てないですから!」


 というところで不自然にならないように用心して両手を放した士は、囲炉裏の一辺に座り込んで、笹葉の包みを二つ取る。


「もう昼だろ。玄関に太陽が差せば昼だ。」


「いいです、二人が戻ってからにします。私は、あと10枚小骨を抜かなきゃいけないんです。お婆ちゃんに言われているんですから。」


「ふ~ん」


 二人の会話はそこで止まった。

 士は適当に家屋の配置を眺め、夏海は依然干物作りに没頭している。

 二人になるシチュエーションが世界を巡ってからそれほど無い。もちろんそれは二人の脳裏に浮かぶあの笑顔の似合う彼のおかげである。


 グロゴロ、


 転機が訪れるのは夏海のお腹。


「怪我人は我慢しない方がいいぞ。」


 板間に包みの一つを滑らせ渡す士。


「士クンが、どうしてもって言うなら、」


 と足を引きずって体を囲炉裏に向ける夏海だった。


「あのアラタとソウジ、それからお婆ちゃんというのは何者だ?」


 包みを取るとにぎりめしが2つ、ぬかで漬けた大根がふた切れ、ゆで卵が一つ。

 士は意外に豊かな塩だけのにぎりの味を噛み締めながら、ただ大根を噛む夏海の表情の変化をジッと眺めていた。夏海はしかめた顔で士を見つめ返す。


「お婆ちゃんから言われてるんです。士クンにヘタな事しゃべるとなにするかわからないから、大事な事は私が言うって。」


 まただ。


「爺ぃもそうだが、よく1日2日遭ったばかりのやつの言う事を鵜呑みに出来るな。」


 士は卵の殻を剥き始める。1度上端と下端だけを取る。薄皮も剥く。そうしておいて卵を両掌で覆って一息、両手を拡げると、どういうわけか卵と殻が二つ分かれている。


「・・・・・・え?」


「おまえのもやってみようか。」


 唖然とする夏海に、ドヤ顔の士が夏海の卵を指だけで要求。

 再び息を吹きかけものの数秒で卵の殻と中身を分離する士。夏海に渡しドヤ顔のまま自分の卵を一呑み。夏海もまた細かく細かく卵を食べつつステンレスボトルの茶を士の分も開けて用意する。


「士クンが吹きかけたもの食っちゃった……」


 そうして卵を全て茶で流し込んだ後に気づく夏海だった。


「お婆ちゃんとやらはどうした?」


「薬草を採りに朝から。お婆ちゃんが私の足、毎日湿布で薬変えて固めれば、軽いから一週間くらいでなんとかなるって。だから、大量に要るって。」


「軽度って事だろうな。骨折じゃなかったのか。」


「それよりさ。士クン、」夏海の眼がキラキラと輝いた。「お爺ちゃんと、あのお婆ちゃん、なんだかいい感じじゃないですか?」


 こういう時ユウスケなら、同じように眼を輝かせて頷いただろう。しかし士は怪訝な顔しかしない。


「爺ぃには爺ぃだけの旅があるんだな。考えた事も無かった。ユウスケも自分の八代を見つけたら、オレ等と本当の意味で別れる事になる。旅の目的を果たしたら、」士は1枚のライドカードを取り出す。例の8つのシンボルが輝く正体不明のカードを。「こういう小屋を建てて、自分の食う分だけ作って暮らすのも、まあ悪くないか。」


 眼を見開いて士をマジマジと眺める夏海。


「二人で、ですか・・・・」


「これおまえが握ったのか、」


「え?」


 突如怪訝な顔で掴んだにぎりめしを突き出す士。


「石みたいに固い。」


 なぜか突然食べ物の味にクレームをつける士。


「一生懸命アツアツ我慢したんですから、そのくらいイイじゃないですか、」


 逆ギレしだす夏海。


「いいか、ここは味つけに手軽にスーパーで調味料なんて出来ないんだぞ。味を損なわないようにだなぁ」


「二人とも顔を合わせると元気になるんだねえ」


「お爺ちゃん~」


 士と夏海が半座状態で激化したちょうどその時、平和なる事最果てまでも光栄次郎が帰ってきた。


「オレ1人に運ばせるなんて聞いてませんよぉ」


 と後ろからアラタがザル一杯のアユやウグイを抱えて帰ってくる。

 栄次郎は囲炉裏の士と夏海に割って入る形で間に座り、早々とにぎりめしを頬張り始める。


「お爺ちゃん、そんなにガッついたら喉詰まらせるよ。もう年なんだから、・・・ホラ言わんこっちゃない。」


「いやあ、獲りすぎですよ。お婆ちゃんが言ってました。過ぎたるは及ばざるがごとし。オレもやったんですよ。いっぱい釣れるからいっぱい釣っちゃって、そしたらお婆ちゃんにこっぴどく搾られて。来年獲れないじゃないかって。」


「お爺ちゃんがごめんなさいね。」


「その婆さんはいつ帰ってくるんだ?」


 と故意なのかアラタの方へ向かって話を振る士と夏海。結局その日が終わるまで2人は目線を交わす事が無かったのである。


「お婆ちゃん?南西の方角に昔動物園だったところがあって、そこを道なりに行った平地だったかな。そこに薬草が生えてる。お婆ちゃん歩いていったから、たぶん夕方だろうな。」


 そういうアラタをあっけらかんとした表情で栄次郎が見やった。


「私ゃ山って聞いたよ。昔大学が二棟あって、今じゃ廃墟になってるとか。」


「ほう」


 その栄次郎の発言に、食べかけのにぎりめしを残して士が立ち上がる。


「士クンどうしたんですか?」


 もちろん夏海は、食べ残すなという意味が含まれている。


「デートさ。誘われたら断れないだろ。」


 士以外の3人は唖然とした。


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