2011年7月10日日曜日

5 カブトの世界 -クロックアップ- その19







「まず聞こう、あのソウジという男の妹はどうなった?」


 お婆ちゃん、はやや卑屈に笑みを浮かべた。


「見込み通りだね。だけど、アンタ、そこで胡座かいちゃ、私が育て上げたソウジに到底敵わないねえ。」


 お婆ちゃんはそう言いながら、先に士に倒されうつぶせになった悪漢の背によっこら腰を落とした。ウッと死後硬直の反応ではない呻きを上げなお失神している男。


「自明だ。あいつが妹と口にした段階から気になっていた。在って当たり前の存在、つまり家族だ。この世界のものが手当たり次第に消えていく現象と関係あるのか?」


 士は、ソウジの時もそうだったが、いつも通り対話のイニシアティブを取れない事に苛立ちを覚え始めている。もちろんこの手合いはこれまでにもあった。整然としてやるだけだ。


「この世界がおかしくなったのは、あのけたたましい音で渋谷に降ってきた隕石からだ。この辺まで風と火の粉と岩が飛んできたものさ。世界中、海の向こうもこの国も全部津波に襲われて人が死に、海の底に眠ってた悪い菌が広まって人が死に、人手が無くなって全てに立ちゆかなくなって、まともな生活ができなくなって、世界中飢えと過労で人が死んだ。最後に聞いたラジオ放送だと、世界の半分は死に絶えたそうな。」


 士はこのままこのババアをノセてみるかと思い始めている。


「だが災難はこれからさ。隕石の中からアンタが持ってるそれ、虫が何匹も出てきた。何の為に使うのか分からないままにね。大概人ってのは、そういう時力を見せる為に使うか儲ける為に使う。儲ける事はもうこの世の中じゃできないから、人を従わせようと、どっちみち暴力に走るものがまず来る。次にその暴力から人を守る為に力を使うものが出てくる。必ず力を持った者同士がぶつかり合う事になる。そして、」


 お婆ちゃんは尻の下にへばっている悪漢の頭を杖で2、3度叩いた。男は呻いて意識を取り戻すが、容易に動けない。未だ、足があらぬ方向を向いている。


「オレは、ただ・・・・・、こいつのバイクと食いもんを獲りたかっただけだ・・・・」


「落ちぶれたもんさ。この世の力の全てを手に入れたこいつは、あそこに見える電波塔に昇って、奪った虫の全部の力を出してみた。たぶんこいつ自身知らなかったんだろうよ。集まった力はただ暴走し、世界中のあちこちの空に穴を開けて、建物だろうが人だろうが全てを吸い上げて、そして御覧の通りの廃墟になった。もう半分人が減った。たまたま穴から生還した人間も中にはいてね、違う場所や、昔に戻っちまった人間が何人も出てきた。口伝えに、こいつが起こした天変地異は、時空渦って言われて恐れられたのさ。ひよりも飛ばされてしまったんだよ。気の遠くなる程の時間の果てに。」


「ひよりというのか、ヤツの妹の名は。」


「ソウジとアラタは、こいつに挑んだ。ひよりを取り戻す為に。止めたんだけどね。だけどソウジは聴かなかった。なまじ金色の剣をこいつから奪った事で、なんでも出来ると思い込んじまった。」


「てっきり世界のあちこちで消えかかっているせいだと思っていた。ババアが身動き取れないと思って、ロープやら救急箱やら積んできたんだぞ。」


「バカにされたもんだねえ。そんなこたぁもう慣れっこさ。それより、いつまでもノビてるこの馬鹿たれを家に運んでくれんか。私は自分の足で帰るよ。」


「時空渦は、」悪漢が起き上がった。「おまえが起こすのではないのか?!」


「誰がそんな事を言った。」


「バカだねえ、この子は。本当に。」


 士とお婆ちゃんがほぼ同時に叫んだ。

 お婆ちゃんの尻に敷かれた巨漢の男が、ヒィヒィと泣き始めた。


「ごめん、ごめんよ、おふくろ・・・・、おふくろにだけは、謝ろうと、思ってたんだ・・・」


「母親?」


 驚く士に、杖で何度も頭を叩くお婆ちゃんだった。


「そう、私のただ一人、腹を痛めて産んだ子がこいつさ。だから捜して懲らしめて欲しかったのさ。こいつの父親はかわいい男でね。それなりの幸せにしてくれたんだけどねえ。育て方を間違えちまった。」


 士は悲しい母子を前に、動く事ができないでいる。


「望みはなんだ、アンタが冥土に行く前くらいにはかなえてやる。」


 お婆ちゃんは、よっこら立ち上がって、デニムについた埃を祓った。


「ソウジに会ったら、もう妹は帰らないと懲らしめておくれ。それから、アンタ達を拾ったあの頃、私の半分くらいの背で、アラタと3人して私にしがみついて泣いてたあの頃を思い出せって。」


 士は掌を1度交互に祓った。


「要するに、一発ぶん殴れってこったな。」


 お婆ちゃんと士、互いに高笑いした。だがそれもほんの一時、ほぼ同時に真顔になり、笑いが止み、微風だけが音を立てた。


「バハア、そこまでの事ならアンタはオレをここに呼んだりはしない。」


「アンタが私の期待通りのもんだった時、教えておこうと思った事がある。」


「それは誰にも、この世界の誰にも聞かれたくない事だ。だからこそオレをここまでやってこさせた。それは即ち、」


「アンタは私の期待に見事応えた。二人だけになるように動いてくれた。これから話す事は即ち、」


「アンタ自身に関わる事だからだ。ババア。」


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