2011年7月10日日曜日

5 カブトの世界 -クロックアップ- その13







『私の記憶を返して!いったいどうして!どうして!』


『今度は何を忘れさせたの!どんなに忘れても、貴方なんかに心を挙げません!貴方みたいな悪魔に!』


『ごめんなさい・・・・、何も覚えていないんです、貴方に頼るしかなくて・・・』


『貴方はとても厳しい方ですけど、時々かわいい顔をなさるんですね。』


『子供を返して、どうして貴方の子を産んじゃいけないの!そんなに人が怖いの!』


『あの、はじめまして、夏海っていいます。さっきお爺さんが私の事そう呼んでて、ごめんなさい。何も思い出せなくて・・・』


「ここはどこだ・・・・」


 士が目を覚ましたその部屋は、裸電球だけがユラユラと揺れる、壁の隙間から日差しが漏れる暗い部屋だった。

 寝床から素足を下ろすと、ミシという鈍い響きと共に弾力が伝わってくる。

 用意され丁寧に畳まれた服を下着一つの体に一枚一枚着つけ、ジャケットを羽織って二眼トイを首から下げる頃には、部屋からのコケの匂いが嗅ぎ取れる程度になった。


「水の流れる音がする。」


 立ち上がり、小屋の扉を開けると、強烈な日差しに目を覆った。光は空と川の両方から士の目に差す。

 近くに川が流れているどころではない。そこは、川岸の橋の下に立てられた小屋。橋は中央が陥没し渡れないようになっている。川岸は本来砂利が多いはずなのだが、士が踏む小屋周辺の土は細かい砂利で丹念に均されている。

 小屋が面した堤防には大きく人が通れる程の穴が左右2つ開けられて、川の水が引き込まれている。


「水を引き込んで戻している。」


 士が上流側の穴に入る、先に光が見える。流れに沿って歩いていくと、堤防の反対側へすぐに出る。


「畑・・・・あいつは、」


 手前には刈取りの終わった稲田があり、やや離れて根菜が植わっている畑がある。


「よお、やっぱり似合うな。2日で起きたか。ソウジが面倒をかけて済まない。最初に言いたかった。もう動いて大丈夫なのか?」


 畑に桶で水を蒔いているのはあのアラタ。


「おまえはどうなんだ、」


 そこで士、トイカメラで1枚。


「お婆ちゃんが言っていた。日課が一番体に良い、だ。」


 彼も『お婆ちゃんが』だった。


「ここはおまえの畑なのか?」


 士は足下の大根の穴だらけの葉を掌で挟んだ。


「いや、お婆ちゃんの畑だ。それより、なんでソウジと戦ったりした、危ないじゃないか!」


 冷ややかな目線の士。


「おまえは危なくないのか、」


「オレはいいんだ、オレはあいつと幼なじみだからな!」


 そう推測はしていたが、話し辛いヤツだと士は確信した。


「ヤツも近所に住んでいたのか。」


 真南に上がった太陽を感じ、士は自然植わっている大樹の陰にもたれ掛かる。


「この一帯で人はお婆ちゃんに助けられた俺たちだけだよ。お婆ちゃんは時々ボケて、隣りのヤマグチさんとか言い出すんだけどさ。昔平和だった頃の記憶が混濁してんだろうな。」


「いっしょに住んでたのか?3人で。」


「いや、4人だった。もうオレとお婆ちゃんの2人になったけどな。」


「ヤツはなんで、ライダーと戦うようになった?」


「それは、いや、詳しい事はお婆ちゃんからする、オレは余計な誤解を蒔くから、その話はするなってお婆ちゃんから言われてんだ。」


 士があの、どこにで居そうな“お婆ちゃん”に興味を持った最初だった。


「ふーん、もう1人はどうした?」


「・・・・、それより、そんな暑そうなところに突っ立ってるより、お婆ちゃんとこにいって、昼を食べよう。」


「暑い?・・・・」


 士はいつのまにか自分の周りに影が消え、あったはずの大樹が喪失している事に気づいた。


「いくぞ、覚悟しておけよ。お婆ちゃん動ける事知ったら君に仕事言いつけるからな。」


 アラタの笑いに不自然さがない。


「ここの木が消えたのを見たか?ここではそんなこと当たり前か?」


 アラタが指差して笑った。


「君、いっしょの女の子もそんな事言ってたけど、頭打ったのかな?それともオレの見えないものが見えるのか?」


 始まっているのか、ここも、


「オレとアレの流行り遊びだ。逢おう、そのお婆ちゃんとやらに。」


 士は分かるはずのない人間に説明をしない。


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