2013年1月3日木曜日

6 スカルの世界 -Lのいない世界- 第一部 その4





「な~つみちゃん」

 高度50メートル程の高さでは、どんなに広げても体と同じ幅しかない翼を羽ばたかせる掌サイズのキバーラの姿を見る事ができない。
 キバーラから見て、米粒のような人の頭が一つディケイダーへ近寄っていく。あれは『Wの世界』から連れてきたマヌケだとキバーラの眼には認識できた。あの夏海の頭も見える。その傍にいるのは、確かこの世界のライダーの一人。何か言われたのだろう、夏海がマヌケの元へ駆け寄っていく。

「アンタ、どこの世界の誰かは知らないけど、士も、ユウスケも、キバットも、鳴滝も、私の気にいったモノはぜ~んぶアンタが横からしゃしゃり出て奪っていく。」

 キバーラがその下顎の牙の隙間から泡を一つ膨らませる。泡はキバーラと同じ程度の、人の拳ほどの大きさになり、フワフワを浮かんぶ、キバーラが泡に一息甘く吹きかけると、ゆっくり、ゆっくりと軽く渦を巻く軌道で降下する、当たれば人一人焼死させる程のエネルギーを乗せて。キバーラはしかし滅多にこの力を使わない。というよりあまり使えない。動物どころか人間の反射神経でもあっさり躱せてしまう程致命的に弾速が無い。だがそれは動いているものに限った話である。静止した物体なら風を読んで命中させる事も可能だ。あのディケイダーという今や静止する火薬庫でしかないあれに向けて、夏海が近づいてくる瞬間を狙って泡を吹けば、一瞬で憎い女をあの世に送る事ができる。たとえ命を奪えなくとも、次元の壁を越える手段を失ったあの女をここに封じ込め、結果的に亡き者にする事ができる。この瞬間をずっと、ずっとキバーラは待っていた。




「ひさしぶりに探偵らしい事でもすっか」

 翔太郎はまずディケイダーの臭いが気になった。厳密に言うと、オイルの臭みすら無い事が気になった。およそ機械である限り、そんなことはあり得ない。翔太郎はこれが見た目よりはるかに高度な技術によって構成されている事を思わずにはいられなかった。となると、彼の相棒がこれを見た時、自分よりはるかに何かを得る事だろう。たとえそれが蜘蛛の糸のような可能性であっても、それを掴まなければ前に進めない。

「フィリップの奴、こいつの計器を見ろって言ってたが、どこにでもあるメーターばかりだぞ。映像撮るしかねえか。」

 バットショットを両手で窮屈に構える。翔太郎にとってバットショットは小型過ぎるようで、10本の指の収まりが悪く、ヘタをするとレンズに被ってしまいそうだ。

「それが、士クンが乗っていたバイクです。あの、電話の彼が言ってました、それで次元を越えてライダー達を集めれば、士クンは私を無視できなくなるって。でも士クンにここで置き去りにされた私に、ライダー達は言う事聞くわけないと思うんです。」

 翔太郎は敢えて夏海という少女の顔を見てやらなかった。

「フィリップは、アンタがあの爺さんや門谷士がここまで連れ添った事に意味があると考えてる。ここに置いて別れた事も、殺さなかった事も含めてな。それが脱出する方法に繋がるかどうかより、繋がっていると見てアンタに頼るしかねえ。唯一の可能性という奴だ、このオレが風都に帰れるな。オレはフィリップとはちょっと見立てが違う。オレはあの門谷士って奴が、この滅んでいく世界にアンタを置いていくはずはない、そう思ってる。それに、」

 翔太郎、ディケイダーのスイッチを入れる、高い周波の回転音がディケイダーから轟く、ハンドルのアクセルを捻るとさらにエグゾーストから轟音と振動が唸る。

「アイツが、本当にアンタをここで見殺しにするつもりだったら、使えるようにしとくヘマはしねえだろ。」

 夏海は執拗に瞬きを繰り返した。
 ディケイダーを立てかけ、しゃしんよろしければ、の紙看板を立て、ああして写真を一生懸命撮っていた、あの背中がフラッシュバックする。だがすぐその幻影は消えて、中折れ帽を被った頼りない青年の姿に変わる。

「私はもう、士クンを信じられない、」

 夏海は思わず顔を両掌で塞いだ。

「いいか」翔太郎はその時振り返った。「アンタはあの門谷士をどんな事があっても信じ続けろ、たとえオレや相棒、他のライダーが全てあの男を疑ったとしても、アンタだけは最後の最後まで奴を信じていろ。」

 翔太郎は、帽子で動揺する自分の目を隠しディケイダーを撮り続けた。夏海はそんな翔太郎を怪訝に眺めた。

「アナタ、ダメです…………士クンはまだ様になってるだけマシでした。」

 翔太郎の下顎が泳ぎながら振り返る。

「おま、おまえ…………ダメは、ないだろ!」

「やっぱりアナタは、士クンにおよばないです、ダメダメです、」

 夏海の眼に、軽薄な探偵の姿が滑稽に映る。士とは違うキャラクターのその男は、どこまでも頼りなさげだが、少なくとも和ませてはくれた。
 そして彼女の視界にそれが入ってくる。その癇癪ではしゃぐ滑稽な男の背後から、忍び寄るようにふわふわと宙を漂うそのしゃぼんのような小さな玉を。なぜだろう、夏海の知覚できないフラッシュバックが、その泡に危機感を覚えさせた。

「あぶない」

 咄嗟に駆け寄った、駆け寄って自分より頭一つ高い男に体重をかけて押し倒す、押し倒す男の怒声や舌に入った砂の感触はしかし、その一瞬でどうでもよくなる、
 音で体が壊れそうになった、
 熱は一瞬だけ感じて後は麻痺した、
 なにかが頭に当たった、
 だがそれら全て、夏海が再び目を覚ました後、脳が記憶をかき消す事になる、

「なにが起こった、耳が、おい、光夏海!頭から血が止まんねえ、しっかりしろ!光夏海!」

 キバーラが放った泡は火種となってマシンディケイダーを爆破した。爆破は十メートル四方に爆炎を上げたが、それは一瞬、引火物が無い荒野であった事も幸いし、もっとも至近にあった光夏海と左翔太郎は火に巻かれる事もなく、煙を吸う事もなかった。ただ破片と衝撃をまともに食らい、翔太郎は左の鼓膜が破れ、全身に擦り傷、背中に胃の内容物が出そうになりそうな打ち身を受けた。だが光夏海に比べると動けない程ではない。光夏海の左腕は見た目ではっきり分かる程に骨折し、なによりそのロングの髪の毛がベトつく程の出血が頭からあふれ出ていた。



 

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